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印象深い搭乗2 着陸復行

着陸復行(Go Around)とは

 着陸復行とは簡単に言えば着陸のやり直しのことです。空港に着陸するにはクリアすべき条件が色々とあります。例えば、着陸時の気象制限いっぱいで降下していき、「やっぱりだめだ」と判断すると機長は「Go around!」と叫び、機首を上げ、出力を上げて上昇に転じます。

 パイロットはあらゆる状況での状況判断を即座にし、それに応じた正しい動作をおこないます。どんなことがおこってもすぐに判断できるようにいつもチェックリストで確認したり、心構えをしています(と、信頼しているから僕らも安心して飛行機に乗ることができます)。

12:45発、青森行き、165便

 機種はエアバスA300-B2型機。羽田での電光掲示板には「天候調査中」のメッセージが。「まあ、大丈夫だろう。少しぐらいまっても時間あるし」とそそくさと搭乗。エアバス機は始めての搭乗だったはずです。離陸前のアナウンスで、最寄の空港または羽田に引き返すことがあるという旨が告げられる。特に揺れもなく、北上。

順調な降下から・・・

 順調に飛行し、最終着陸態勢に入りました。「大丈夫そうだな」と思った瞬間、急に上昇に転じ、エンジンの出力があがり音も大きくなります。離陸ぐらいの加速度を感じながら(これは言いすぎでしょうか)、「これが着陸復行かー」と感傷に浸りながら?シートにもたれていました。

 機は上空で一時間ほど旋回をしていましたが、結局青森空港に着陸することはできず、青森に割合と近い三沢空港に向かうことになりました。ここでは一発で着陸することができました。三沢空港では三沢から青森までの特急料金の入った封筒を受け取りました。払い戻しがあるんですね。三沢空港から三沢駅?までのバスにのり、三沢から青森まで、青森から弘前まで特急で乗り継ぎました。青森から弘前に行く特急のなかでは「これが特急?山手線よりおそいんじゃないの?」と騒ぐ奥様方もおられ、大変気分悪く弘前に到着しました。

 弘前大学に着いたときにはもうすでに傍聴するはずだった、生協総代会は第一部がおわり、第二部が始まっていました。ちなみに、別便にて向かっていた職員はANA便だったために、三沢にも降りられず、なんと津軽海峡を渡って函館空港に連れてかれ、弘前大に着いたときにはもうすでに懇親会でありました。弘前大学生協の専務によると、この季節は霧が多くて降りられないことがよくあるそうです。

 いずれにしても弘前にはもう二度とは来ないだろな、とおもった一日でありました。ところが、その4ヶ月後に行くことになったわけですが(二回目は、韓国から成田、羽田、青森、という無茶なスケジュールでした)。

帰れない!?

 話は、まだ続きます。青森空港に到着する機がないということは、出発する飛行機がない、ということになります。機材のやりくりができない、状態とはこういうことを言います。もちろん私も青森から帰る術を失いました。翌日には出るべき会議があるために、今日中に東京に帰りたい、という中で考え出した策は・・・寝台列車。青森やったら北斗星があるんじゃないか?と明るい乗り物好きの私は思ったわけです。

 ビンゴでした。無事に二等寝台に席を確保し青森を9時14分発で乗車することができました。北斗星に気を良くしつつも、発車の音楽が都内と一緒だったのは幻滅しましたけどね。この北斗星にのった乗客の中には僕と一緒の目にあった方もたくさんいて、同室のかたも同じ処遇でした。話を聞いてみると、愛知県は豊橋の方でした。僕の実家も豊橋ということで、何たる奇遇と盛り上がりながら楽しい時を過ごせました。

 翌朝、大宮でおりるも家の鍵を持っていないことに気づき、結局上野へ。当該車両はもう車庫にはいったということだったので調べてもらいましたが見つかりませんでした。家の前に立ち、どうしようかと途方にくれていたのですが、「はっ」と思い立ちベランダの窓をみると・・・鍵かかっていませんでした。めでたしめでたし?

 こんな散々?だった青森行き、いろんな初体験もできました。着陸復行を体験した唯一の搭乗です。

説明

これは2001年5月末の搭乗。弘前大学に行くために、羽田からJAS便にて弘前空港へ行くはずでした。案内板には天候調査中の表示。大丈夫だろうと思い、普通に搭乗したのですが・・・。

2002/07/16

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